オフィスアルファ
トップページ コンサート情報 アーティスト情報 ショップ − 通信販売 お問い合わせ 会社概要
CD情報
トップページ >> アーティスト >> オラシオ・ラバンデーラ >> オラシオ・ラバンデーラ新聞評

オラシオ・ラバンデーラ 新聞評


神童オラシオ


 ミケーリ週間であった。金曜日、フランチェスコは誕生日を迎えた。64歳である、portati ganzi。日曜には父ウンベルトを記念した国際ピアノ・コンクールがミラノで行われた。ガブリエーレ・マッツォッタ日く、この街で機能しているのは、唯一音楽のみである。

 晩餐と授賞式の間には、夏、音楽院で院長が(ミケーリのこと)仕事をし、それによって彼が更新されたということが分かった。(?)

 しかし!数多の音楽性が渦巻くスカラ座で、勝者を見出すのは至難の業であった。厳格な審査員団は、二人のフアイナリストに3位を、そして17歳のアルゼンチン人、オラシオ・ラバンデーラに2位を授賞。厳しい判定こそが賞を鍛え、逆に温情主義がその価値を下げるものだ。また、オラシオは非常に劇場向きであり、成功する、しないは別にしても、将来、大物になりそうな予感がする。

コッリエラ・デッラ・セーラ紙



濃密で質の高いプログラム


 シャルル・デュトワに関しては7月6日初演予定のワグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」が待たれていたが、このスイス人でありながら、すっかりとポルテーニョかぶれ(ブエノスアイレスびいき)になってしまった意慾的なマエストロは自身の予定を延長して(予定されていた20回コンサートの他に)ソリストにオラシオ・ラバンデーラを起用したブエノスアイレス・フィルハーモニー管弦楽団で、ブラームスの「ピアノ協奏曲第一番」とストラヴィンスキーの「春の祭典」を指揮した。充実した密度の高いコンサートであった。

フィナーレのロンドではこのソリスト独特のリズム感とオーケストラとの本物の交流の中で大きな感動を創造した。ラバンデーラは観客の喝采の答えてアンコール曲:めくるめくようなプロコフィエフのトッカータと空想的なショパンの前奏曲第十五番を演奏した。

Federico Monjeau

CLARIN紙 興行、2003年 6月28日(土)



黄金の手を持つ若き天才


 アルゼンチン国籍、1984年ブエノスアイレス生まれ、ピアニストのオラシオ・ラバンデーラは驚きを隠さない。それは名声高いこのロックダンテロン音楽祭にデビューを飾る事だけではなくそれ以上に、偉大なる同郷のピアニスト、マルタ・アルゲリッチと同日に演奏する事となった事実にである。

 「私は直感的に運命的なテレパシーを感じ、この幸運に感動しています。私は以前彼女に出会った事があり、勿論貴重なアドヴァイスをいただいていますが実際にはレッスンを受けた事がありません。」

 彼の以前の指導者はマルタ・フレイジドと云う数々のコンクールで栄冠を得て既に祖国では若き天才と呼ばれていたピアニストだったが、ラバンデーラがフランスにおいて紹介される機会として、これ以上のチャンスはまずないと言えるだろう。

 今朝の彼はフローラン城の公園内で、現在の先生アントニオ・デ・ラコに付き添われリハーサルに余念がない。今は11時、雨が降っている。大した雨ではなく水溜りに雨だれを落としているがピアニストのいる天蓋コックまでには届かない。どちらにしてもこの滑らかな肌のまだふくよかなあどけなさを残した顔の彼には何も邪魔にはならないようだ、髪は半ば長く、声も甲高い。

 こんなに若くて既にこんなに優れている、この小さな両手はきっと黄金が詰まった指を持っているに違いない。彼はピアノの前に居る、まるでビッグ・マツク・ハンバーガーの前にいるように、でも貪り食ったりしない、味わうのである。ベートーヴェンをスプーン一杯、ヒナステラを一口、それぞれのアッタックそしてそれぞれの装飾音符をとなんども繰り返しながら、ピアノの向こう側に座っている年配の男性(先生)に意見を聞く為に少し上体をかたむけつつ…

 後ほど彼は、マウリッツオ・ポリーニについて勉強していたシエナからやって来た事や、すでにスペイン、ベルギー、イギリス、特に彼の本国のプェノスアイレスのコロン劇場等で演奏活動をしていたこと等詳細を語ってくれた。父親は細身で笑みを浮かべ、9月6日にオラシオはザルツブルグのモーツアルテウムにてモーツァルトの協奏曲第21番をレオポルト・ハーガーの指揮で演奏すると語る。オラシオはバーミユーダ姿で座ったまま何も云わない。サッカーは好きかという問いに、好きだが現在はその時間も無いし試合をする為の友達もいないと微笑みながら答えた。

M.A.R.

ル・モンド(LE MONDE)紙、2001/08/10より


「ラ・ロックダンテロン音楽祭」において


 8月8日の朝、数人の気難し屋さんの人達は雲行きの怪しい空を見上げ指を立てながら占っていたが午後になってその心配も無くなり、若きアルゼンチンの天才オラシオ・ラバンデーラを聴きに軽い足取りで会湯に向かった。フォルヴァン(Forvin)劇場の暑苦しさや狭い座席のきしみに辛抱しながらも、すぐに人々はこのピアニストに愛情を抱いた。

 しかし、最初のベルクのソナタでは中間で和らいだ甘美さに陥り、ベートーヴェンの第18番ソナタ変ホ長調では無気力的ビロードのような演奏が眠さを誘う。人々はこれではヒナステラのアルゼンチン・ダンスまで、悲しみや優しさの入り混じるしなやかで官能的な風が鍵盤の上に巻き起こるのを待たなければならないのかと自問する。そしてそれがその通り現実となり我々を驚かせたのである:彼の熱情的気性が姿を見せ始めたのだ。

 それは特にプロコフィエフのソナタ変ロ長調Op.83で発揮された、完璧な技術に加えて高度な美しい音色、そして力強さと共にその表現のすべてが白日の下に明らかにされたのである。  最高の勝利、しかし暑かった。

ル・モンド(LE MONDE)紙、2001/08/10から抜粋




© Copyright Office Alpha. All Rights Reserved.